カツベン

M:こんにちは。ミッシェルです。

G:ジョージです。

M:クリスマスイブなんだから、『アナ雪2』が気分じゃない?

G:でも、混んでるだろ。それに、長く上映するだろうから、

  今日じゃなくてもいいよ。

M:というわけで、周防正行監督の『カツベン』を見ることになりました。

  実際、観客は、私たちを含めて、4組でした。ゆったり見られました。

G:でも、こっち選んで良かっただろ。内容は、良かったよ。面白かった。

M:そうね。この映画の時代は、100年前、1919年というと、

G:大正8年。その時代は、まだ、無声映画時代だったんだね。

  カツベン、活動弁士という人が活躍していた時代なんだ。

M:映画の最後に、日本では、無声映画にカツベンが説明してくれていたので、

  純然たる無声映画時代はなかったと書いてあったわ。

  カツベンは、日本独自のものなのかしら?

G:そうなんだろうね。外国では、映像の後に、字幕を挿入している

  みたいだからね。

M:ちょっと、『ニューシネマパラダイス』みたいなところあったわね。

G:そうそう。あのフィルムの切れ端をとっておくところとか、

  クライマックスで、それらをつなげて感動へと導くところとか、

  映写室の出火とかね。でも、まあ、それはそれで、まあ、いいかって感じ。

M:私がいいなと思ったのは、時代背景と役者がそれほど浮いていなかった

  ことかな。この間、テレビで、金田一耕介シリーズの最近撮ったものを

  見たんだけど、どうも違和感があるのね。あれって、戦後すぐくらいの

  時代設定だと思うのだけど、どうも古さが感じられないのよね。

  金田一耕介演じた役者が、やっぱり令和してるんだなあ。

  そりゃ仕方ないんだけど、ああいう髪型の人は、当時いないでしょって

  感じなのですよ。それだけで、浮いちゃってる。いくら髪の毛を

  かきむしっても、フケがボロボロ落ちる感じには見えない。柔らかくて

  いい香りがしそうな感じなのね。それで、もう、その物語に没入できなくなる。

G:まあ、仕方ないよ。たぶん当時を知っている人が撮ってるわけじゃないから。

  その人の想像する昭和二十年代だからさ。

M:でも、これは、セットも、人物もなんかしっくり時代に入ってる感じがして

  物語の世界に引き込まれたのね。それだけでも、見て良かったなあと

  思った。

G:しかし、カツベンでこうも映画が変わるのかなというのが面白かった。

  タチバナ館のやくざにめちゃくちゃにされた青木館を救おうと

  フィルムをつなぎ合わせて、自分たちなりのストーリーを作り上げた。

  代役の弁士は、内容を知らないから、全く説明できず、しどろもどろ。

  フィルムのつなぎもめちゃくちゃだから、全然ストーリーとして成り立っていない。

  でも、われらが俊太郎弁士が語り出すと、みごとストーリーがつながって

  ひとつの物語が現れる。それが、面白かった。つまり、カツベンによって、

  同じ映画が、ガラリと変わる。それが、よく比較できた。

M:でもさー、どうして、カツベンが斜陽産業になりつつあると、

  一昔前は、ちやほやされてた弁士が、典型のように、酔っ払いのダメダメ男に

  なっちゃうんだろうね。あの落ちぶれ方が、腑に落ちないなあ。なぜ、

  あんなにやさぐれなくちゃならないのか、理解できなかったわ。

G:絶滅する職業があるって、いうじゃないか。AI化が進むと、今まで人間が

  やってた仕事をAIがやるので、仕事がなくなるって。

  改札の駅員の切符切り作業は、もう完全に絶滅したね。自動改札機によって。

  活動弁士も、有声映画が主流になったところで、絶滅しただろうね。

  彼らは、どこに転職したんだろうか。漫才師か、講談師か、しゃべりは

  うまいんだから、それを利用できた職業に転職したろうね。

M:絶滅職業の映画だったわけね。将来、今までやってた花形職業が絶滅して

  そういう映画ができるかもしれないってことね。時代が進むにつれ、

  今まであった職業がなくなるのは、仕方のないことなのね。

  それは、100年前でもそうだったから。

  なにか失われていくものの悲哀があってせつないね。

G:でも、面白かった。

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