沈黙 -サイレンスー
M:こんにちは。ミッシェルです。2017年、初めてですね。
今年もよろしくお願いします。
G:こんにちは。ジョージです。今年も、いい映画をたくさん見るぞー。
さて、今年最初の映画は、マーチン・スコセッシ監督の『沈黙』だ。
原作は、遠藤周作の『沈黙』。監督が28年前に読んで感動して
映画化したかったそうだ。
M:へえー。でも、原作は、日本の作家で、日本国内のことなのに
よくここまで日本を再現できたわね。それに感動したわ。
G:そうだよな。全然、違和感感じなかった。その昔、『将軍』という
ドラマがあったな。たしかアメリカ人が日本を描いたもの。
あの時は、どこか違和感があった。ああ、外国人は日本人を
こういうふうに見てるのかと思った。あまり記憶に残ってないけど
島田陽子さんがきれいだったなあということしか覚えていないなあ。
M:そんなドラマがあったのね。私は、『ラストサムライ』かな。
あの時は、よくできているけど、やっぱりアメリカ人が描く日本ね
と思ったわ。どことなく違う。刀の光とか鎧とかそういうものは
確かにそうなんだけど、空気感が違うというか。
でも、これは違った。うわっ日本だと思ったわ。
G:そうだよな。もし、タイムマシンで戻ることができたなら、
こんな感じだったよなと思えるほど、日本人が見ても
違和感のない日本だった気がする。
M:私たちも、江戸時代なんて知らないのにね。
でも、こういう感じだったかなと思った。
G:ずいぶん前、『沈黙』って確か映画化されているんだよね。
M:そうなの?
G:俺、DVDかなんかで見たことあるよ。
でも、こんなにリアルで内面にググッとは迫っていなかったような
ずいぶん昔だから、忘れちゃったけど。
M:これは、すごいと思った。丁寧に、棄教への心の変化を
描いているでしょう。時間も長かったけど、あれだけの時間を
かけなくちゃ、描けないものだったでしょうね。
G:ほんとにそうだ。映画の中ほどでは、よくわからなかった。
司祭たちが持っている信仰の形というのがね。
でも、先に転んだフェレイラの登場で、俄然、わかってくる。
神様は沈黙している。でも、おまえが棄教すれば
彼らは助かるんだという究極の選択の場面は
圧巻だったな。
M:まったく。この映画通してだけど、息ができなくなる
ほど、なんかぐっと力が入っちゃう場面が続いたわ。
G:そうだな。力が入った。俺は、キチジローよりもっと
軽く転ぶな。痛いのとか冷たいのとか苦しいのとか
ぜったい無理!
M:私もそう。すぐ、踏絵も踏んじゃうと思う。
というより、キリスト教自体がよくわからなくて
信仰しないと思う。
G:でも、あの当時、信仰していた人たちは、
意志の強い人だったんだろうね。
年貢とか苦役がそもそもつらかったってことも
あるだろうけど、信仰にいたる環境が
理解できないところあるからね。
M:今、あの隠れキリシタンの地が世界遺産の登録に
向けて、頑張っているじゃない。
G:そうだね。五島列島の教会とか注目を集めているね。
平戸に行ったときだったかな。けっこう踏絵というか
金属で加工したキリスト像とかマリア像が彫られた板が
あるんだよね。踏絵なんだけど。こんなに何枚もあったのかと
驚いたことがある。この映画で出てきたように、踏絵は
一度に限らないんだね。その棄教が継続しているかどうか
確かめるために、定期的に踏ませていたんだね。
だから、あんなに摩耗していたんだと今気づいた。
M:へえー、私は、踏絵の実物、まだ見たことないわ。
でも、こういうのが世界遺産に登録されていいのかと
思うこともあるわ。というのは、世界遺産に登録されるって
ことは、沢山の観光客が物見遊山感覚で来るわけじゃない。
でも、隠れキリシタンの歴史とかってそういうもので
いいのかなと思う。
G:うーん、よくわからないなあ。いいじゃないか。世界遺産。
M:つまり、商業主義に走ってしまわないかということよ。
あの教会群って今も現役で使われていつわけでしょ。
だから、そんな有名にしなくてもいいんじゃないかってこと。
ひそやかにそっとしておいておくのもいいんじゃないかって。
G:まあ、そうだなあ。信仰っていうのは、ガチャガチャしてしまう
環境は似合わないもんな。
せっかく、信教の自由の世の中なんだから、静かにそっとというのは
ありなのかも。
M:だから、世界遺産でなくても、日本遺産くらいで残していけば
いいんじゃないかなあって。世界に宣言しなくてもという気もする。
G:なるほどね。個人的な意見として聞いておくよ。
そもそも江戸時代、なんで禁制にしたかだけど、
キリスト教そのものというより、信仰心というのに恐れを
いだいたんだよな。確か。日本だって宗教をめぐる一揆って
いうのがあって、それに為政者たちは手を焼いていたから。
井上も通詞もそこのところは分かっていたんだと思うよ。
体制を壊されないよう、禁制にしたって。
M:そうなんだ。キリスト教徒が一大勢力になるのを恐れたって
ことね。
G:そうなんだろうなあ。でも、一神教は、日本にはなじまないかもな。
俺たち、八百万の神々の方がしっくりくるもんな。正月には、
神社やお寺に行って、クリスマスにはキリスト教徒のように
クリスマスを祝って、10月末にはハロウイーンをやって
次はイースターかという勢いだし、節分では、恵方巻きを
食べたり、豆まきをして福の神を呼び込んだりさ。
道端の道祖神やお稲荷さんを大切にしたり
するほうが、なんだかしっくりくる。
日本人は無宗教というけど、生活に宗教的なものが
根付いてるんだよね。
M:そうね。そう、ひとつには絞れないわね。七福神だって
いるし、神様がひとつっていうのは、何か物足りなさを
感じるかも。
G:だから、苦しんでまで信仰心を貫くというのが、理解できないところ
があるな。
M:でも、これは、究極の選択の物語として見ると、
なんか深いわ。究極の選択でしょ。
G:表面的なことは捨てられても、心の中のことは捨てられないというのが
ここでの結論かな。
ラスト、棺桶に入れられたロドリゴに妻がそっとキリスト像を
置くだろ。あれは、ロドリゴの真の心だったんだろうね。
外面はどうでも、神様だけは自分をわかっていてくれる
という願いの表れというか。
M:でも、そうじゃなきゃ、救われないもの。神様は、ロドリゴが
十分苦しんだことをわかって下さるわ。
G:とにかく、久しぶりに映画らしい映画を見たよ。
重厚で見た甲斐のある映画。
イッセー尾形さんとか日本人俳優、良かったよね。
M:本当、びっくりした。すごかった。ロドリゴ神父さんも
良かったし。リーアム・ニーソンも良かった。
とりあえず、2017年度、ナンバー1の映画だわ。
G:まだ、2017年度、一本目だけどね。
M:今、言っておかないと、年末、記憶が薄れちゃうもの。
もう一度、言っておくわ。今年度、ナンバー1よ。
今年もよろしくお願いします。
G:こんにちは。ジョージです。今年も、いい映画をたくさん見るぞー。
さて、今年最初の映画は、マーチン・スコセッシ監督の『沈黙』だ。
原作は、遠藤周作の『沈黙』。監督が28年前に読んで感動して
映画化したかったそうだ。
M:へえー。でも、原作は、日本の作家で、日本国内のことなのに
よくここまで日本を再現できたわね。それに感動したわ。
G:そうだよな。全然、違和感感じなかった。その昔、『将軍』という
ドラマがあったな。たしかアメリカ人が日本を描いたもの。
あの時は、どこか違和感があった。ああ、外国人は日本人を
こういうふうに見てるのかと思った。あまり記憶に残ってないけど
島田陽子さんがきれいだったなあということしか覚えていないなあ。
M:そんなドラマがあったのね。私は、『ラストサムライ』かな。
あの時は、よくできているけど、やっぱりアメリカ人が描く日本ね
と思ったわ。どことなく違う。刀の光とか鎧とかそういうものは
確かにそうなんだけど、空気感が違うというか。
でも、これは違った。うわっ日本だと思ったわ。
G:そうだよな。もし、タイムマシンで戻ることができたなら、
こんな感じだったよなと思えるほど、日本人が見ても
違和感のない日本だった気がする。
M:私たちも、江戸時代なんて知らないのにね。
でも、こういう感じだったかなと思った。
G:ずいぶん前、『沈黙』って確か映画化されているんだよね。
M:そうなの?
G:俺、DVDかなんかで見たことあるよ。
でも、こんなにリアルで内面にググッとは迫っていなかったような
ずいぶん昔だから、忘れちゃったけど。
M:これは、すごいと思った。丁寧に、棄教への心の変化を
描いているでしょう。時間も長かったけど、あれだけの時間を
かけなくちゃ、描けないものだったでしょうね。
G:ほんとにそうだ。映画の中ほどでは、よくわからなかった。
司祭たちが持っている信仰の形というのがね。
でも、先に転んだフェレイラの登場で、俄然、わかってくる。
神様は沈黙している。でも、おまえが棄教すれば
彼らは助かるんだという究極の選択の場面は
圧巻だったな。
M:まったく。この映画通してだけど、息ができなくなる
ほど、なんかぐっと力が入っちゃう場面が続いたわ。
G:そうだな。力が入った。俺は、キチジローよりもっと
軽く転ぶな。痛いのとか冷たいのとか苦しいのとか
ぜったい無理!
M:私もそう。すぐ、踏絵も踏んじゃうと思う。
というより、キリスト教自体がよくわからなくて
信仰しないと思う。
G:でも、あの当時、信仰していた人たちは、
意志の強い人だったんだろうね。
年貢とか苦役がそもそもつらかったってことも
あるだろうけど、信仰にいたる環境が
理解できないところあるからね。
M:今、あの隠れキリシタンの地が世界遺産の登録に
向けて、頑張っているじゃない。
G:そうだね。五島列島の教会とか注目を集めているね。
平戸に行ったときだったかな。けっこう踏絵というか
金属で加工したキリスト像とかマリア像が彫られた板が
あるんだよね。踏絵なんだけど。こんなに何枚もあったのかと
驚いたことがある。この映画で出てきたように、踏絵は
一度に限らないんだね。その棄教が継続しているかどうか
確かめるために、定期的に踏ませていたんだね。
だから、あんなに摩耗していたんだと今気づいた。
M:へえー、私は、踏絵の実物、まだ見たことないわ。
でも、こういうのが世界遺産に登録されていいのかと
思うこともあるわ。というのは、世界遺産に登録されるって
ことは、沢山の観光客が物見遊山感覚で来るわけじゃない。
でも、隠れキリシタンの歴史とかってそういうもので
いいのかなと思う。
G:うーん、よくわからないなあ。いいじゃないか。世界遺産。
M:つまり、商業主義に走ってしまわないかということよ。
あの教会群って今も現役で使われていつわけでしょ。
だから、そんな有名にしなくてもいいんじゃないかってこと。
ひそやかにそっとしておいておくのもいいんじゃないかって。
G:まあ、そうだなあ。信仰っていうのは、ガチャガチャしてしまう
環境は似合わないもんな。
せっかく、信教の自由の世の中なんだから、静かにそっとというのは
ありなのかも。
M:だから、世界遺産でなくても、日本遺産くらいで残していけば
いいんじゃないかなあって。世界に宣言しなくてもという気もする。
G:なるほどね。個人的な意見として聞いておくよ。
そもそも江戸時代、なんで禁制にしたかだけど、
キリスト教そのものというより、信仰心というのに恐れを
いだいたんだよな。確か。日本だって宗教をめぐる一揆って
いうのがあって、それに為政者たちは手を焼いていたから。
井上も通詞もそこのところは分かっていたんだと思うよ。
体制を壊されないよう、禁制にしたって。
M:そうなんだ。キリスト教徒が一大勢力になるのを恐れたって
ことね。
G:そうなんだろうなあ。でも、一神教は、日本にはなじまないかもな。
俺たち、八百万の神々の方がしっくりくるもんな。正月には、
神社やお寺に行って、クリスマスにはキリスト教徒のように
クリスマスを祝って、10月末にはハロウイーンをやって
次はイースターかという勢いだし、節分では、恵方巻きを
食べたり、豆まきをして福の神を呼び込んだりさ。
道端の道祖神やお稲荷さんを大切にしたり
するほうが、なんだかしっくりくる。
日本人は無宗教というけど、生活に宗教的なものが
根付いてるんだよね。
M:そうね。そう、ひとつには絞れないわね。七福神だって
いるし、神様がひとつっていうのは、何か物足りなさを
感じるかも。
G:だから、苦しんでまで信仰心を貫くというのが、理解できないところ
があるな。
M:でも、これは、究極の選択の物語として見ると、
なんか深いわ。究極の選択でしょ。
G:表面的なことは捨てられても、心の中のことは捨てられないというのが
ここでの結論かな。
ラスト、棺桶に入れられたロドリゴに妻がそっとキリスト像を
置くだろ。あれは、ロドリゴの真の心だったんだろうね。
外面はどうでも、神様だけは自分をわかっていてくれる
という願いの表れというか。
M:でも、そうじゃなきゃ、救われないもの。神様は、ロドリゴが
十分苦しんだことをわかって下さるわ。
G:とにかく、久しぶりに映画らしい映画を見たよ。
重厚で見た甲斐のある映画。
イッセー尾形さんとか日本人俳優、良かったよね。
M:本当、びっくりした。すごかった。ロドリゴ神父さんも
良かったし。リーアム・ニーソンも良かった。
とりあえず、2017年度、ナンバー1の映画だわ。
G:まだ、2017年度、一本目だけどね。
M:今、言っておかないと、年末、記憶が薄れちゃうもの。
もう一度、言っておくわ。今年度、ナンバー1よ。
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